2026年10月7日 星期三

私は人生のすべてを夢を追いかけることに費やしたが、結局、その夢は私のものではなかったと気づいた

夢見る時は美しく、夢から醒める時は最も難い —— ある引退医師の診察室での感悟
引退医師の人生講座

『夢見る時は美しく、夢から醒める時は最も難い』

—— ある引退医師の診察室での感悟

診察室の随筆 • 読了時間 約 6 分 • 癒しのエッセイ

若き日、私も「夢を見ることは最も美しく、夢は叶うものだ」と信じていました。

その後、数十年間にわたり医師として多くの患者に接し、診察室で数え切れない人生の物語を見つめてきて、ようやく少しずつ分かってきたのです。人生における病の多くは、身体にあるのではなく、心にあるのだと。多くの病気には薬があり、多くの傷は癒やすことができます。しかし、生きることの理不尽さ、現実の重圧、そして日々の暮らしの中で行き場を失い積み重なった苦悶から生じる痛みは、簡単に消えるものではありません。

「人生における病の多くは、身体にあるのではなく、心にあるのだ。」
診察室の名言

引退後、医師としての年月を振り返ってみると、私が治療してきたのは単なる「病気」そのものではなく、生活の重荷に押しつぶされそうになりながら生きてきた「人生」そのものであったことに気づかされます。

ある人は失業のために不眠に悩み、ある人は借金のために不安に苛まれ、ある人は子供の悩みで心を病み、ある人は夫婦関係の破綻に身も心も擦り減らしていました。住宅ローンのために人生の半分を駆け抜け、年老いた親の介護に心を使い果たし、あるいは職を守るために不当な圧迫に耐え続けてきた人々。表面上、彼らが訴えるのは胃痛や高血圧、動悸や頭痛といった症状ですが、本当に彼らを苦しめていたのは、口に出せない委屈、どうにもならない現実、そして理不尽だと知りつつも受け入れざるを得なかった人生のありようだったのです。

診察室で最もよく耳にした言葉は、「どこが痛い」ということではなく、救いを求めるかのような深いため息でした:「先生、私、本当に疲れました……」

この「疲れ」は、単なる肉体的な疲労ではなく、魂の浪費と心の乾きなのです。時に私は痛感していました。彼らに必要なのは薬ではなく、心を解放できる出口なのだと。しかし、現代社会は人に膨大な時間を要求する一方で、心が呼吸できるゆとり(空間)を滅多に与えてくれません。誰もが何かに追われ、走り続け、取り残されることを恐れています。まるで立ち止まった瞬間、世界から冷酷に切り捨てられてしまうかのように。

幼い頃から私たちは、「努力すれば報われる」「あきらめなければ希望はある」「夢はいつか必ず叶う」と教え込まれて育ちます。これらの言葉が間違いとは言いません。ただ、現実というものはそれほど単純ではないのです。数十年診察室に立ち続けて気づいたのは、多くの人々は努力が足りないのではなく、むしろその逆——**「努力しすぎてしまった」**のだということです。

「多くの人々は努力が足りないのではなく、むしろその逆——努力しすぎてしまったのだ。」
診察室の名言

家族を養うために努力し、周囲の期待に応えようと努力し、責任を果たそうと必死になり、社会が求める「立派な人」を演じ続け、最後にたった一人、自分自身を労わることだけを忘れてしまったのです。その結果、身体は悲鳴を上げ始めます。不眠が現れ、不安が押し寄せ、鬱が影を落とし、さまざまな慢性疾患が押し寄せてきます。

長年、私は自分の人生をゴールのないマラソンにしてしまった人々を数多く見てきました。少年時代は成績のために走り、青年期は仕事のために走り、中年になれば家庭のために走り、老いれば健康のために走る。ひたすら走り続け、疲弊し切り、ついに病に倒れて初めて、立ち止まって考えざるを得なくなるのです。「自分は一体、何を追いかけて走り続けてきたのだろうか」と。

『紅楼夢』の「好了歌(こうりょうか)」に、このような一節があります。

「古今將相在何方?荒塚一堆草沒了。」
(昔の英雄や大臣たちはどこへ行ったのか。ただ荒れた墓が一つ、草に埋もれているだけだ)

若い頃に読んだ時は単なる古典文学と感じられましたが、歳を重ねた今振り返ると、それは臨床医学の真理そのもののように思えます。病の前で、死の前で、そして人生の終着点の前で、人間はみな同じ結末を迎えるからです。

「高血圧は富を知らず、がんという病は地位を恐れず、そして死は権力になど一切頓着しない。」
診察室の名言

私は大富豪にも接し、清掃員にも接しました。大企業の経営者も、街角の露天商も診療してきました。診察室のドアをくぐる時、肩書や社会的地位には違いがあるかもしれません。しかし、病床に横たわれば皆等しく一人の人間にすぎません。高血圧は富を知らず、がんという病は地位を恐れず、そして死は権力になど一切頓着しないのです。

それ故に、引退した今、私はよく考えます。一体何が、これほど多くの人々をこれほどまでに苦しく生きさせているのだろうか、と。

やがて気づいたのです。多くの病はウイルスによって引き起こされるのではなく、「欲望」によって引き起こされるのだと。細菌ではなく「不安」によって、外傷ではなく「他人との盲目的な比較」によって蝕まれていくのだと。誰もが「もっと良く暮らしたい」と願う結果、誰一人として満たされることがない。貧しい者は貧困を恐れ、中流層は落ちぶれることを恐れ、富裕層は失うことを恐れる。こうしてみな深い不安の中に生きています。仏教で言う「求不得苦(求めても得られない苦しみ)」は、実は毎日診察室で繰り広げられていたのです。

長年医師を務めて、私はついに悟りました。人生における最大の荒涼とは、貧しさでもなく、失敗でもなく、病気でもありません。一生を費やしてある目標を追い求め、最後に「それこそが自分の本当に望んだ人生ではなかった」と気づくことなのです。多くの人は自分の夢を追いかけているつもりで、実際には「社会が定義した成功」を追いかけています。自分の意志で自由な選択をしているつもりで、実際には誰かが敷いたレールの上を進んでいるに過ぎません。引退し、病に倒れ、人生の黄昏を迎えて初めて自分に問いかけるのです。「もしもう一度人生をやり直せるなら、私はまたこのように生きるだろうか」と。

しかし悲しいかな、その時にはもう、答えなど何の足しにもならないのです。

引退した今、私は確信するようになりました。人生で最も尊いものは、名声でも、財産でも、地位でもありません。夜は安らかに眠りにつくことができ、昼は心から微笑むことができ、心に過剰な後ろめたさがなく、人生に大きな悔いを残さないこと。それこそが真の幸福なのだと。これは一見シンプルに見えて、多くの人々が一生をかけても手に入れられないものなのです。

「夢を見るのは素晴らしい。けれど、夢を追うために自分自身を犠牲にしてはいけない。」
診察室の名言

ですから今、「夢を見ることは美しい」という言葉を耳にすれば、私は今でもそれを信じたいと思います。ただ、そこに一言付け加えたいのです。

「夢を見るのは素晴らしい。けれど、夢を追うために自分自身を犠牲にしてはいけない」と。

診察室で、私はあまりにも多くの人々を見てきました。彼らが屈したのは、病気や運命にではなく、「決して立ち止まろうとしなかった自分自身」にだったのです。

「この世で最も深い悲哀とは、命が潰えるその日にこの世を去ることではありません。命がまだ続いているうちに、自分を『他人が期待する姿』へと仕立て上げ、本当の自分を失ってしまうことなのです。」
診察室の名言

この世で最も深い悲哀とは、命が潰えるその日にこの世を去ることではありません。命がまだ続いているうちに、自分を「他人が期待する姿」へと仕立て上げ、本当の自分を失ってしまうことなのです。

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